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| 先行き暗示か、曲がった誘導路
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| 成田空港は、5月20日で開港から30年を迎えた。激しい反対闘争の歴史を背負い、1978年の開港時から4000bの滑走路1本での運用が続いたが、2002年に2本目の暫定運用が開始。10年には「ジャンボ」が離着陸できる2500bに延伸されて、ようやく1966年に描かれた当初計画が実現する。だが、このB滑走路への誘導路の長さは2500bを大きく超え、しかも不自然に湾曲している。空港建設予定地内には今も反対派農家2戸が居住、一坪共有地を含めた未買収地は計3・4fに上り、この未買収地を避けたためだ。アジア近隣諸国の国策的大空港や、国際化へのニーズが高い羽田との競合の困難な先行きを暗示しているようでもある。 旧運輸省(現国土交通省)官僚として空港建設、運営に携わってきた、成田空港会社の前社長で特別顧問の黒野匡彦氏は、2本目の滑走路に超大型機が離着陸できる環境が整い「40年前の計画がやっと日の目を見た」と感慨深げだという。国が地元住民らの同意を得ないまま建設を閣議決定したために、反対派との対立で警察官と反対派双方に死者を出しただけでなく、衝撃的な過激派による管制塔占拠事件で開港が約2カ月延期さるなど、同氏は、不幸な生い立ちと苦難の歴史の証人だ。黒田氏の感慨はわかるが、成田の明るい展望を描くには課題があまりに多い。 アジア各国は経済成長と歩調を合わせて急速に国際空港を整備。韓国のソウル・仁川空港に今年6月、4000b級の滑走路が3本そろうのをはじめ、北京首都、上海、香港、バンコク、シンガポールなど各巨大空港が次々に誕生している。黒野氏も「成田が世界の流れから著しく遅れていることは率直に認めたい」と認める。 さらに、羽田空港の国際化も脅威だ。国交省が「国内基幹空港」と位置付けてきた羽田だが、01年に定期チャーター便としソウル・金浦線が就航。政府が昨年打ち出した「アジア・ゲートウェイ構想」では、羽田の役割も重視。これを受けて発着の定期チャーター便は上海・虹橋、香港と拡充の一途だ。10年に4本目の滑走路ができれば、従来のチャーター便ではなくアジア近距離向けの国際定期便運航が始まる。折しも、国土交通省は20日、10年に4本目の滑走路の運用が始まることを機に、欧米直行便の就航など国際空港として積極活用する新計画を取りまとめた。成田の地位が一段と脅かされるのは間違いない。 そもそも政府には、アジア近隣諸国が推し進めるような「国益」としての国際ハブ空港構想が欠落している。そうした中では、成田としてもあの手この手で匍匐前進するしかない面もある。04年に公団から株式会社化されて経営の自由度が増したのをテコに、ラウンジやブランドショップを拡充し収益を確保。世界的に高いと批判を受けていた着陸料も一定の引き下げにつなげた。その成果は上がり、米国同時テロや新型肺炎(SARS)で落ち込んだ国際線需要が回復した04年度以来、発着回数は伸び続けて07年度は19万4000回と過去最高。さらに40社前後の航空会社が乗り入れを希望している。 成田では2本目の滑走路の本格供用が始まるのに伴い、年間発着枠を現在の20万回から22万回に増加。将来は管制や飛行コースを工夫し30万回への拡大を視野に入れる。10年度には成田新高速鉄道が開業し、ネックだった都心とのアクセスも現在の最短51分から36分に短縮する。 直面する難題は、外資規制の是非が問題となって、当初は07年度を目指した株式上場・完全民営化が大幅に遅れそうな点だ。上場は、資金調達や「空港会社」としての信用力など、得るべきものは多いはず。初の民間出身として黒野氏から社長を引き継いだ森中小三郎氏の手腕が試されることになろう。 |
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