![]() カサ・デ・ナガモリ 永盛博由(ながもり・ひろよし)さん |
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『ヘブンズ・ドア』と『カサ・デ・ナガモリ』
いい味の刑事役・三浦友和が、大写しになった『カサ・デ・ナガモリ』に入って行くシーンを、良くできた映画のセットだと感じた人がほとんどだと思う。あにはからんや、この店は、つくば市松代に実在する。映画にも登場した店のピンク電話は、今も繋(つな)がる。 メキシコ人のマイケル・アリアス監督は、『ヘブンズ・ドア』の撮影のために数十軒のメキシコ料理店を都内中心に見て回ったという。しかし、イメージに合う店が無かった。最後にみつけたのが『カサ・デ・ナガモリ』。だから、70人のスタッフが集結した撮影前夜に、古びた床を張り替えることさえできたのだが、雰囲気を壊すとして、一切手を加えさせなかった。そして、店を取り囲んだ3000人の野次(やじ)馬が見守る中、昨年1月22日、『カサ・デ・ナガモリ』のシーンの撮影は終了したのだ。 一年経って、現在映画は公開され、好評を博している。そして、つくばの『カサ・デ・ナガモリ』に行けば、いつもどおりテカテ(メキシコのビール)と最高のテキーラと日本一のメヒコ料理が食べられるのである。「カサ・デ・ナガモリ」は、スペイン語で「ナガモリの家」である。そう、この店のオーナーシェフ・永盛博由(ながもり・ひろよし)が、今回の主人公である。 下館出身の永盛は、大阪の名門ホテルに就職し、腕を磨いた。独立して、『エスポワール』という店を大阪で開店、作家の藤本義一も常連だったその店には、多くの外人客もいた。6年後店を閉じ、常連客だった外国人客を、故郷に訪ねながら、ヨーロッパや南米を放浪する。中でも、メキシコにハマッタ。ラテンに関するモノは、すべてが永盛の肌に合った。メキシコ滞在中、交流試合でやってきた日本のサッカーチームのガイドを買って出て、メキシコ・トルカ市の名誉市民の称号を贈られたほど。 数年ぶりに帰国したナガモリは、故郷下館(現・筑西市)に向かう途中、威容を現した建設中の筑波研究学園都市に出くわした。「一体これは何だ!」と、早速、世界中を見てきたその目で、街の探訪を始めた。 『ヘブンズ・ドア』と『カサ・デ・ナガモリ』
不動産屋と様々な物件を見て回った。一番気に入ったのは、開発される前のつくば市松代にぽつねんと建つテナントビル。区分所有する京都のオーナーに交渉してもらった。決めた理由は、「人通りが無かったから…」。つまり、通りがかりのフリーの客の相手をしたくないとの理由であった。「タコスというのに、どうしてタコが入ってないのか?」と文句を言われる時代。判ってきてくれる客だけを相手にしたかったのだ。 最初に出入りし始めたのは、やはり外国人研究者や留学生たち。彼らが、やがて、日本人の友人を連れてくる構図。狭い店だが、研究所の所長クラスや新聞記者が、連日通い詰めるきっかけは、「知る人ぞ知る」この店の不便さからきたものであった。 外国人顧客たちの数は、つくば万博の連日のパーティーでピークをむかえた。さらにポスト万博では、領事館並みの機能を果たした。税務申告から不動産屋との契約、子供の進学、果ては離婚の相談まで、永盛を頼ってやってきた。店の顧客には、弁護士から医者、企業のトップまでそろっており、たちどころに問題解決していった。 「ラテンにはまると、一生抜け出せない」との格言の通り、ラテンミュージックのCDは既に一万枚に達し、メキシコ風に建てた自宅の永盛の部屋は足の踏み場も無い。日本一のラテンコレクションである。人工都市の一隅で、名曲『カバデ・ラ・ビュッフォ』(OldForce)が今夜も鳴り響く。カサ・デ・ナガモリのドアこそが、ラテンという天国のドアであるかのように! (花山 亘 筑波大学非常勤講師、NPOつむぎつくば理事、文中敬称略) 【事業概要】〒305―0053つくば市松代3の4 電話029・852・1745 カサ・デ・ナガモリ オーナーシェフ 創業 1980年11月1日 事業 メキシコ料理:タコス、エンパナーダス、グアカモレ、チョリソ、納豆ピザ(メヒコ風)、ハラペニオンてんぷら、マリガリータ、セルベッサ、ピノほか ・『ヘブンズ・ドア』オフィシャルサイト http://h-door.jp/ | ||
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