![]() フジヤマ 代表取締役・多田光成さん |
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21世紀型「筑波の油売り」
日本酸素の子会社に就職し、研究所の支援ワーカーとして研究現場に立った。多田が衝撃を受けたのは、つくばの博士たちがネジを回していたこと。「頭脳集団といいながら体力勝負。これでは二十年後に筑波研究学園都市は空洞化する」と思った。 研究者の仕事をしたいと言ったら、今からでも遅くないから学びなさいと研究者に言われたが、やれなかった。でも、研究所が楽しい。いずれ国研が独立行政法人化するらしい。産官学連携もしないと、空洞化する。研究所向けのワーカーの会社を作りたい。四年間のサラリーマン生活を経験した後、二十二歳の時、独立してそのワーカーの会社を作ることにした。登記はしたが、仕事は無かった。宇宙センターの耐久実験の仕事を、古巣の日本酸素経由でやっともらった。このワーカーの仕事は、十年間続く。 水を得た多田は、まるで研究者の現場リーダーのように振る舞い、システムをどんどんバージョンアップしていった。 テーマは、低温と真空。真空ポンプは、自転車の空気入れポンプの反対の構造。まず、大きなロータリーポンプで空気の大半を吸い出し、次に電気ポンプでさらに吸い取り、最後は、わずかの水分を蒸発させて、どんどん真空状態を上げていく。しかし、最初の段階で使う、ロータリーポンプがトラブル続き。すぐ、実験中止となってしまう。しかし、「子供ころからエンジン好きですから、何とか修理した」と。 そもそも多田は、幼稚園から高校まで続いた筋金入りの不登校。小学校三年のころから、小遣いを貯めては、近所のスクラップ屋さんに行って、ホンダのカブなどを数千円で買ってきては、エンジンを分解していた。高校時代には、クルマのスクラップを再生した。 結局、摩擦とオイルに行き着く。空冷エンジンのポルシェも構造は、油冷。そこで、徹底的に特殊なオイルを研究。「また、バカだから、オイル自体を、自分で作りたくなった。クルマと同じで、使用状況が過酷すぎた。良いオイルにすれば、過酷な使用状況に合わせられるはず」 オイルに詳しい研究者に話を聴きまくった。トラブルの原因のほとんどが、オイルだと聴くと、いろんなオイルを探して試した。今度は、サラリーマンじゃないので、とことんのめり込んだ。マンションの一室は、オイルだらけ。ベランダにもはみ出してきた…。 「うまいラーメン屋です。うまいラーメン屋は、行列ができるんだよ。昆布か牡蠣(かき)か豚骨か。それをブレンドしていくと、お客さんは、並ぶんだよ」と、会社の連中に説得した。出張に行っても、いろんなオイルを、地酒を買うように、海外でも買ってくる。原油から精油していくわけだが、時代によってどんどん新しい技術が盛り込まれている。もっと細かい抵抗の少ないパウダーを入れるとか。 そのころ、多田は、何を思ったか、三カ月ほど会社を休んでブラックバス釣りにのめり込んだ。ある日、真空ポンプには使えないと諦めていたオイルを、リールに使ってみた。すると、軸の回転が驚異的に良くなった。元々、重りが重ければ遠くに飛ぶが、ポチャンと音がして魚が逃げてしまう。小径ベアリングの摩擦を減らして、軽くても遠くに飛ばせれば、魚が釣れる確率が大幅に増えるのだ。 霞ケ浦で、釣りで飯を食うプロアングラーたちに出会った。「どうして、多田君のリールは、そんなに飛ぶの?」。彼らのリールを預かってバラして、多田が気に入ったその油を、塗った。そのころ、土浦港で知り合ってバスプロたちが、現在のフジヤマ社の契約プロ九人。 『Spin』と命名した多田のオイルの感触を体感した人々が、ロゴシールをリールに貼りたがる。釣り具屋を紹介してもらい、自分でブレンドしたオイルを試験販売したところ五t、千五百円で飛ぶように売れた。大手釣り具チェーンに卸始めた。 大手企業の「釣り部」の人々から、釣り具用以外の自社商品に使いたいとの問い合わせが殺到。ビジネスの道が拓けてきた。顔が見える商売。元祖ニートの多田は、「『油を売る』というのは、お前にピッタシだなと良く言われるんです」と笑う。 (花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略) 【会社概要】つくば市篠崎396の1。電話029・877・4328。1991年創業。資本金1000万円。高圧ガス関連機器販売。真空機器関連販売。パソコン機器関連販売。研究開発業務。オリジナル潤滑油『Spin』の製造・販売。 http://www.the-fujiyama.com/ | |
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