![]() 公共システム研究所 代表取締役・大山宣廣さん |
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映画シナリオとプログラム
有限会社公共システム研究所代表取締役・大山宣廣(一九五五年生まれ)の人生シナリオは、思わぬ方向へと展開していった。都内の私大に入学。しかし、どうしても映画作家になりたくて大学をやめた。東映東京撮影所に自作脚本を携えて門をたたいた。『誘拐報道』『二百三高地』『疵』さらに『修羅の道』シリーズなど日本映画のプロデュースを手掛けていた瀬戸恒雄が入門を許してくれた。陣内孝則主演の『疵』では、材料を集めプロットを書いた。 だが、全く食べてはいけない。見つけたのが、コンピュータプログラミングのアルバイトであった。「百貨店の電算室。毎日の売上を記録した紙テープを舐めながら読み込ませて、COBOLを憶えた」。茨城に実家のある妻・晴美と社内結婚。それを機に十八年前、高エネ研に旧文部省予算執行システムのSEとして常駐。FDがまだ16(うちわ)の時代だった。その後、名古屋市のソフトハウスをつくばに引っ張って来て移籍。 汎用コンピュータシステムと「負担行為」と言われる国の独特の会計システムを理解しないと、組めない特殊なソフト開発の世界で支社長として活躍。しかしバブルの崩壊で少なからず影響を受け、十名の部下を維持するために居酒屋POS―SYSTEMのサポートを受注。大みそか、神奈川の山奥で新規オープンのレジで朝の三時まで立ち尽くめ。氷点下の駅で宿泊先へのタクシーが来なくて凍えながら来光を見た。 電話が入った。「Microsoft社が発表した『MsAccess』を使って予算執行システムを開発しないか? 全国には大山のノウハウを実現して欲しい機関が多々ある。なんとか専念してくれないか」。ある国立大学の事務官の言葉が、大山の運命を変えた。一台のB5ノートPCと当時珍しかった携帯電話を購入して独立した。事務所は自宅であり公園のベンチであった。この場所で予算執行システム基本機能五十万円が生まれた。 当時、汎用コンピュータで年間千万円を超える維持費がかかった予算執行システムは、一気にパソコンによる廉価システムへの可能性を見出してくれた。十年前のことだった。 年収八百万円から八十万円に転落した。大山は、家族を養うため定期預金を取り崩し、生命保険から生活費を借りた。銀行に提案書を持って訪問したが体よく断られる日々。一年半が苦しかった。(旧)筑波技術短期大学と東京医科歯科大学で採用された。「北海道から沖縄まで同じ扱いでありたい」と、社名につくばの文字は入れなかった。 やがて十六機関で稼動した。年間売上も数千万円に成長した。求人を出したら優秀な女性が集まった。当初時給八百円からのスタートに、あきらめる者、挫ける者、残る者がはっきりと見えてきた。残った者は全て優秀な人材であった。二年目で年収三百万円を超え、五百万円に達する者もいた。もちろん、彼女たちは、二十人に一人の確率で生き残ったわけだが。 ソフト開発は映画のシナリオに似ている。業務の流れを分析してシステムとしてのストーリーを生み出す。そこには効果があり、成果があり、感動がなければならない。それがシステム開発の一番大切な目的。使う人に優しいシステム『デュエットシリーズ』と命名して全国に展開。 今後、公共システム研究所が注力するのは、科学研究費等補助金システム。夢は北海道と沖縄の片隅に開発室をおくこと。そこで働くスタッフに最高の報酬を与えること。公共システム研究所のユニークな経営姿勢の原点には、大山が紡ぎ出す人間味あふれるシナリオが見え隠れしている。『自転車泥棒』のビットリオ・デシーカのように。(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略) 【会社概要】つくば市千現1の23の2。電話029・850・1204。1995年創業。『デュエットシリーズ』と命名して、官公庁向け事務処理システムの開発と販売。主に国立大学、国立共同利用研究所向けに予算執行システムをパッケージ販売。独立法人化以降は財務会計システムをはじめ科学研究費等補助金システムを全国展開中。E-mail=koukyou@sannet.ne.jp | |
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