アテックグループ 代表取締役・栗原正直さん

「人生の岐路からの挑戦」

新規事業を立ち上げるたびに大きな喜びを感じるという栗原さん
いくつもの新規事業を立ち上げてきたアテックグループ代表取締役・栗原正直(一九五五年生まれ)は、今日の発展のきっかけは、三十年ほど前のあの夏の出来事だと自らの軌跡を振り返る。

法政大学で、花形の大型コンピューターを学んだ。先輩の紹介でCSKへの就職が内定した四年生の夏、「とにかく、帰ってきて、医者に会ってみてくれ」との母親の電話から始まった。

父親が、がんになり入院したのだ。家業の国鉄専任の広告代理店を、大学卒業と同時に継ぐようにと言われた。都心のコンピュータ業界に後ろ髪を引かれながらも、半年後、卒業とともにに実家の下館市(現筑西市)に戻り、病院のベッドからの先代の指示を受けて、県内国鉄の駅構内の広告営業を始めた。

一年後、父は旅立った。そして、残された事業も、暗礁に乗り上げた。国鉄民営化の波の中、鉄道広告も外部に出さず関連会社で処理しようという流れが強まり、栗原の人生も岐路に立たされた。折からのタウン誌ブームに乗り、心機一転、これまでの国鉄営業で培った経験を生かし、タウン誌を創刊。タイトルは、地元下館をもじって『だてっこ』とした。日立系の会社に務めていた妻・仁美に、結婚と同時に、写植を覚えてもらい、二人三脚で新規事業を立ち上げた。

その写植も、電算写植からDTPへと、印刷のデジタル革命が進行する中で常に最新システムの導入を心掛けてきた。せっかくのシステムを活用して、新規顧客の開拓も目指した。そのターゲットは、完成したばかりの筑波研究学園都市。栗原は、頻繁にこの街を訪れた。

栗原の人生に大きな飛躍のチャンスが訪れたのは、商工会議所青年部の県の会長に就任し、同時につくば市にオフィスを構えた五年前であった。仕事の軸は、公の立場での全国行脚。留守がちの会社経営は、もっぱら下妻一高時代の同級生で専務の糸川秀樹以下十名の社員に任せた。会社挙げての取り組み体制が功を奏して、社長不在のアテック社の売上は、栗原の心配を余所に倍増していった。

会社内部が充実したこの時、吉報が舞い込んできた。あるコンサルティング会社から、人材派遣業をやらないかDMの案内が届いたのである。規制緩和の進む二〇〇〇年十月、思い切って、研修を受けて、人材紹介予定派遣を行う有限会社ケイシスを設立した。

人材紹介予定派遣とは、何か。栗原の得意分野は、IT分野である。つくばの研究機関などに要望に合わせて、人材を六カ月間派遣し、スキルや勤務態度を見極める。引続き雇用したい人材なら、派遣終了後、派遣先に有料職業紹介事業として人材紹介を行う。

ケイシス社が登録している人材は、三千人。毎日約百人が、稼働している。帰国子女を中心とする派遣事業や、プログラマーなどキャリア人材の派遣が、栗原の売りである。

さらにもう一つのチャンスが訪れた。登録社員のうち、独身女性は約三百人。聞いてみると、彼女たちの結婚願望が、非常に強い事が判明。栗原は、結婚相談のフランチャイズシステムに加盟。つくば市の人口ピラミッドでは、二十代三十代では、男性が女性の三割増しだ。研究機関が抱える独身男性に対する女性たちの売り手市場で、この結婚紹介業もまた大ヒットしている。

新規事業を立ち上げるたびに大きな喜びを感じるという。派遣期間を過ぎ、正社員として採用されて目を輝かせながら働くスタッフの姿を見た時、さらに、人生の伴侶を見つけ出した幸せな表情に触れた時、栗原の心はなごむ。「自分の就職の時、やりたいことを我慢してきたから、そのつらさを他人に味わわせたくない」という信念がある。本格派仲人の登場で、人間味のある街として、最近つくば市は、良い味を出し始めている。(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)

【会社概要】本社・筑西市二木成1351。学園事務所・つくば研究支援センター内。電話029・863・2349。http://www.atec-ad.co.jp/。(有)ケイシスTSUKUBAJOB http://www.tsukuba-job.com/。1979年4月1日創業。広告企画・デザイン・印刷・地元情報誌出版・ホームページ制作。人材紹介予定派遣。結婚相談所。

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